表千家とは?現代の千利休の子孫達

 茶道、という言葉のサジェストといえば大体の日本人がワビサビ、禅、千利休といったところだろうか。

最近だと9月に逝去された樹木希林さんがご出演の「日々是好日」という映画が記憶に新しいだろう。この映画は作中にも出てくる森下典子さんという方のエッセイを基にしている。この森下さんが実際に習われていた流派が表千家なのだそう。

表千家というのはもちろん千利休の流れをくんだ茶道の大家なのだが、利休には表千家の他にもさまざまな子孫たちがいる。筆者はたまたまつい先日仕事で関わることがあり、気になったので調べてみた。

◻︎千利休とは

 まず千家の祖である千利休についてだ。千利休茶の湯の様式である侘び茶を完成した人物である。侘び茶とは、我々がよく寺院なんかで目にする、草庵という質素で小さな小屋のような建物の中で行う様式のこと。

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写真…千利休 (1522-1591)

 

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写真…茶の湯ではないが下鴨神社の摂社の一つ、河合神社にある草庵。鴨長明という随筆家が建てた、通称「方丈庵」である。なんと折り畳み式らしい。

 

織田信長の茶頭として仕え、本能寺の変後秀吉に仕えたとされる。しかし秀吉とは反りが合わず1591年、聚楽第屋敷内にて切腹させられてしまう。きっかけとして有名な話なのは大徳寺の門上に自分の木造を設置し、その下を秀吉にくぐらせたという説。しかし彼が屈指の政治家であり、秀吉の政治に口を出したからなど、様々な説がある。

◻︎千利休の子孫たち

 千利休の子供たちの中で2人の息子に焦点を当てる。1人は道安という嫡男(正妻の子、長男)、もう1人は利休の後妻の連れ子である少庵。この2人、同い年なのだが仲は良くなかったのだそう。特に嫡男の道安は利休との仲も上手くいかず、家を出てしまう。後に堺に戻り千家本家の家督を継ぐのだが、秀吉にとって利休の後継者とは義理の息子である小庵の子、利休の孫にあたる宗旦であった。この宗旦が後の現代の表千家裏千家武者小路千家(三千家)の祖となる。

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図…千家の本家というのはあくまで道安一代で途絶えてしまった堺千家のことであり、現代まで残る三千家は傍系(いわゆる分家)なのである。

◻︎三千家

 さて利休の孫、千宗旦には5人の子供がいる。長男・宗拙、次男・宗守、三男・宗左、四男・宗室と長女・くれである。長男の宗拙は父・宗旦から勘当されてしまっておりそれぞれ、

次男・宗守→塗り師(漆器などの職人さん)に養子に出された後茶の道に戻り、京都・武者小路で武者小路千家を起こす。

三男・宗左→利休が大徳寺門前に建立した不審庵を宗旦から受け継ぎ表千家を興ずる。

四男・宗室→不審庵の裏に位置する今日庵を基に裏千家を創る。

 そのため表千家は代々宗左を、裏千家は宗室を、武者小路千家は宗守を家元名として襲名し現代まで至っている。

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図…三千家の祖たち

 

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写真…「表千家に女性しか生まれなかったらどうするんですか」という筆者の質問に答えるため、上司が裏紙にささっと書いた雑な家系図である。ところどころというか、ほとんど間違っているのだが。この利休の孫の位置にある久田家というのは孫ではなく、利休の妹にあたる宗円の夫・久田実房を祖としている。表千家に男子が生まれなかった場合、久田家から養子を迎えることになっている。

※上司の間違いに関しては否定しないでいる。できる部下なので。